あの記事から一年が経って……

 

t-ritama.hatenablog.com

 

 

この記事から約1年が経った。せっかくなので色々思い返そうと思う。

 

・反響のすごさ

 この記事の公開の前日、実は数分だけ下書きをツイッター上で公開した。数分で削除したが、その段階でフォロワーに色々な感想をいただた。もしかしたらこれはいろんな人に見てもらえるかもしれないと感じていた。

 実際に公開したあと、スマホの通知はほぼパンク状態となり、翌日の講義や実験はもう手が付けられない状態となった。自分の経験を見たいと思った人が多かった、励ましの声などすごい反響があり、うれしい気持ち反面、炎上に近い状態であるので不安な気持ちもすごく強いものであった。この数日でフォロワーは1000人増え、環境は激変した。

 現在はかなり落ち着いたが、未だに1日100前後(多い時には1000ほど)のアクセスがある。

 

・励ましの声の多さ

 このブログが拡散されるにつれて、様々なコメントをいただくようになり、ビクビクしていたが、予想を遥かに超える励ましの声の多さに驚いた。半分くらいが批判のコメントではないかと予想していたが、実際のところ、9割以上の方がネガティヴでないコメントを残してくれたように感じた。少ないながら批判のコメントもあった。

 

・似た経験を持っている方々

 反響の中で特に記憶に残っているのが、似た経験を持っていた人たちからのメッセージである。似た経験というのは、毒親であったり、独立生計であったり、様々であるが、全てではないにしろ、部分的に同じように苦しんでいる人がいるのだということが理解できた。

 また、過去にそういう経験にあったから支援をしたいと申し出てくださった社会人の方もいた。「自分もそのとき誰かに助けられた。今度は自分が助けたい」という気持ちに強く心を打たれ、自分も支援できるような境遇になったら、何かの形で助けになれるようになりたいと強く思うようになった。

 

・支援のありがたさ

 ブログの公開の後、多くの人に「支援させてほしい」という旨のコメントを頂いた。その中で「Amazonの欲しい物リストを活用しては」とアドバイスをもらい、設置させていただいた。初めての経験であり、色々なことを調べ、色々なことを教えていただいた。欲しい物リストを作ったとき、「見ず知らずの人に支援をするなんてそんな聖人みたいな人いるのか」と思ったが、世の中には本当に優しい人がいて、多くの支援をいただいた。1年が経った現在でも定期的に支援をいただいている方がいて頭が上がらない。支援としていただいた添付されてるコメントなどが書かれた紙?は全て大事に保管させていただいている。

 

・執筆の依頼について

 たくさんあった反響のうち、原稿の執筆の依頼や、書籍化の誘いなどがいくつかあった。当時はあまりの反響の多さと、多くのDMや依頼に少々怖くなってしまい、頂いた全ての依頼を断ってしまった。だいたい落ち着いたその半年後くらいに雑誌のコラムの依頼をいただき、その執筆をした。「点線面〈vol.2〉2016年尾崎翠への旅」という雑誌(リトルプレス)の特別論考の『趣味は身を助く』というコラムである。

www.amazon.co.jp 機会があればまた何か書くこともあるかもしれない。

 

・休学しない選択肢

 多くの支援を頂いて、休学を経ずに大学院の入学金の確保が出来るかもしれない状況になった。実際には、金銭的状況以外の問題(アルバイトなどに時間を費やしすぎて学力が大変なことになっている、このまま学年が上がって研究室に配属されてからこの頻度のアルバイトを続けられるのか、大学院は本当に独立生計で授業料免除されるのか、など)が多くあり、まだ通常と比べてかなりの労働をしている現状がある以上、問題は多く残っているが、「休学しない選択肢」というのが現実味を帯びてきたというのは事実である。支援を頂いた方、応援のコメントを残してくださった方には感謝してもしきれないです、本当にありがとうございます。

 

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【大学受験】量か質か問題に決着をつける。

大学受験において度々議論されるものとして「受験勉強では量を取るべきか質を取るべきか」という問題がある。合格体験記などを見てみると、「量より質を取ったから合格できました!」とか、「ひたすら量をこなして合格することが出来ました!」とか様々な考えが並んでいる。今回はこの問題に一つ結論を導きたいと思う。

 

  • 学力をつけるには

 当たり前すぎることではあるが、この手の受験勉強において一番大切にされるのが学力をつけることである。では、学力はどのように身に着けることが出来るのか。

 例えば、ものすごく質のよい勉強が可能な人間の勉強時間が0時間だったら学力は一切つかないだろう。逆に、ものすごくたくさん量をこなせる人間の勉強の質が0だったらそれはまた学力はつかない。これらを考えて、「量×質=学力」という仮定の下この問題を考えたいと思う。

 

  • 量×質=学力

 この式は量と質の積であるので、量が一定下においては質が高ければ学力も高くなる。質が一定下においては量が多ければ学力も高くなる。そういう比例関係にある。よって、量と質を大きくすることが学力をつける重要なポイントとなる。

 

  • 量を上げるには?

 量を上げるには勉強時間を増やせばいい。具体的には、無駄な時間を削ったりして勉強時間に充てるのが良いだろう。また、量というのは具体的な数値が簡単に分かることができ、比較も容易である。5ページより10ページの方が量が多いし、100単語より200単語の方が量が多い。

 

  • 質を上げるには?

 では、質を上げるにはどうすればいいのだろうか。量より質と主張する人はいるが、肝心の質を上昇させる方法に言及する人は少ない。このあたりが非常にあいまいな人が多く、この議論の落とし穴でもある。

 そもそも、質が良いとはどのように理解できるのだろうか。つまり質の良い勉強をしていると理解できるかどうかが問題なのである。質の良さが理解できなければ質の良い勉強の理解も当然できない。

 

  • 勉強法の共有の限界

 例えば、「単語をやってから長文読むと効率良かったよ」という質の良い勉強法の共有が友人からあったとしよう。ここで問題なのは、仮に「単語をやってから長文読むと効率が良い」が真であったとしても、その友人と同じ勉強法をすることは不可能であるということである。「単語をやる」ということだけにとっても、どのように単語を覚えていくのかという問題がある。「1問1答で覚える」「派生語も覚える」「例文も暗記する」「語源も理解する」などなど……、一つ「単語を覚える」ということにとっても非常にやり方が多くあり、それによって身につくものも違う。これはほんの一例であるが、効率の良い勉強法を教えてもらったからと言ってもそれ通りに出来ることは不可能に近いということである。もちろん、成功体験の一つであり、勉強法の参考にはなるが。

 

  • 質を良くするために

 勉強の質を良くするために、その質の良さを理解する必要があると書いたが、その一番簡単な方法は自分で実践してみることである。2つの勉強法を比べ、実際にやってみて、時間当たりの効率を実感してみるのが良いだろう。効率の良い勉強法が見つかればそれを取り入れていけば良い。被験者がその方法を理解するにも効果を実感するにも一番近い存在である。そして、たくさんの勉強法の比較をすればするほど勉強の質は良くなっていく。つまり、勉強の質は効率の良さを念頭に置きながらどれだけ勉強量を積んだかということに依存している。現実的かつ実践的な範囲では、勉強量が質の向上の大きな役割を持っていると言えるだろう。

 

  • まとめ

学力をつけるには量も質もどちらも大事。量を増やすのは簡単だが、質を良くするには量をこなすことが必要になる。勉強の質を意識しつつ、量をこなすことで学力をつけていくのが良いのではないか。私が受験生活で使っていた「量か質か問題」の結論は以上である。

””休学費””によって困る学生を見て

最近、TLを騒がせている記事がある。

 

www.manazooooo.com

日本女子大学に通っていた学生が留学する際、休学費に悪戦苦闘した記事である。私もこれから休学する予定があり、他人事と思えなかったので記事にした。

 

t-ritama.hatenablog.com

私が休学を決めた理由は上記事にて書き殴ったのでこの記事では省略する(初めましての人は見てほしい)。

 

 

休学費とは?

 

 

現在の大学では、国立大学では休学するときに学費は徴収することはないが、私立大学では、休学する際にお金が必要になる。授業も受けていなく、サービスをうけることもないのに費用がかかる。

 

大学における休学は、学長(又は委任を受けた学部長)の許可が必要である。
一般的に学期単位での休学となる。休学すると、その学期の授業料が半額程度まで減額、もしくは全額免除となる(この場合、別に在籍料を徴収される場合もある)が、在籍期間としてはカウントされない。したがって、休学した年月分だけ余計に卒業年月が延びることになる。また、休学期間は最長4年までとされており、それを超過すると除籍となる。(wikipediaより)

 

wikipediaによると、休学すると授業料が減額されるらしい。「本来徴収されるものが減額される」という感覚らしく、だいぶ学生の感覚とずれているような気もする。

 

休学費がかかるとどうなるか

 

 大学生活が金銭的面で詰む学生が出てくる。文科省のデータによると、休学者の休学理由の15%は経済的理由である。これはなんと留学で休学する人よりも多い。経済的事情で休学せざるを得ない人は非常に多いのだ。

 例えば、この日本女子大学の学生は休学に一年66万円の費用がかかった。よって、学費が払えなくなってしまった場合に休学して学費を稼ぐということが非常に困難である。そういう状況に陥ってしまった人は授業料免除か奨学金を上手に活用するかもう退学する他ない。実際、同文科省のデータによると、退学理由は「経済的理由」が一番多い。「学業不振」や他の理由よりも多い。休学費が安い私立大学でも私の例のように金銭的に非常に厳しい状況でありながら授業料免除や奨学金を受ける権利のない学生がこのような大学に通っていたら卒業することはまず不可能であろう。このような学生はたくさんいるのではないかと推察できる。

 休学費は安くなっているらしい?

 

 国立大学も昔は休学費が存在したらしく(調べたがソース見つからず)私立大学も最近では休学費は安くなっている傾向にあるらしい。例えば、明治大学は2011年から学費の半額の休学費を取りやめ、在籍費として年間8万円を徴収するようになった。他にも諸費用はかかるようだが、学費の半額である休学費のことを考えると非常に安くなっている。他にも休学可能期間の延長や整備が行われた。これらにより、非常に休学しやすくなったことが分かる。

休学制度改正について - 明治大学(http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/1301636050.pdf)

 また、ICUでも2014年に授業料の1/3から在籍料は1学期3万円、1年間9万円に変更すると発表された。ここに教務のインタビューが掲載されているので参考にされたい(http://weeklygiants.co/?p=2531)。ここでは、合理的な理由のない高額な休学費、休学費が障害となり学業に支障が出るなどの言及がされている。また、休学費の減額により、退学者の減少による授業料収入の増加も見込まれるとも書かれており、様々な理由により休学費が安くなったり、在学費に取り替えたりすることも多い。

増える経済的理由の退学者

 

 経済的理由で退学する人は増え続けている。大学進学率の増加など、経済的に十分でない人が大学に進学する場合もあるであろうが、休学費の減少の傾向にもかかわらず、経済的理由での退学者は増え続けている。全国の大学が経済的に恵まれない人のサポートをどんどん充実させているという印象があるが、実態はそこまで伴っていないように思えた。



学生の中途退学や休学等の状況について - 文部科学省

(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/10/__icsFiles/afieldfile/2014/10/08/1352425_01.pdf)

 

貧困JKの炎上から何が分かるか

本日、ネット上で大きな炎上を見せたニュースがある。

 

www3.nhk.or.jp

www.youtube.com

 

まとめサイト等では

貧困なのにものが多すぎな部屋

部屋にあった画材が希望小売価格2万円

9000円のEXILEのライブには参加

映画複数回観賞

 という要素から「貧困ではないのでは」と言われ、炎上している。

 

私も金銭的に苦労した経験があり、現在もその状況に苦難を感じているという立場からこの問題から何が分かるか考察したいと思う。

t-ritama.hatenablog.com

 私の苦労話は上記記事に書いてあるので読んでない人は読むと私がどこでつまづいたか分かると思う。

 

 

 

 

 

1、彼女は貧困と言えるのか?

 まず定義を参照する。

“等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人員の平方根で割って調整した所得)の中央値の半分に満たない世帯員”

 よく分からない。分かりやすくすると一人暮らしでは収入が実質112万円以下の場合該当、二人暮らしだと174万円以下くらい。思ってたより基準が厳しい。一人暮らしフリーターは貧困層に該当しない人も多そう。この定義において彼女が貧困層の家庭にいるかどうかはおうちの収入が分からないと分からない。まあ、ここは重要ではないので以上とする。

 

 

 

 

2、なぜ彼女がPCを買わずキーボードだけで練習したのか

 ネット上の意見を見てみると

 

貧困なのにものが多すぎな部屋

部屋にあった画材が希望小売価格2万円

9000円のEXILEのライブには参加

映画複数回観賞

それなのにPCが買えず1000円のキーボードで練習だけする(貧困アピール)

 

 ということが彼女が糾弾される理由のようである。上記趣味の出費については記事の後ろの方で取り上げるため、ここでは言及しない。簡単に言うと「こんなに贅沢しているのに貧困とはどういうことか」ということであろう。実際に「1000円のキーボードだけ買ってPC買うお金がありません」というのはよく分からない。やりくりを上手にすれば普通に買えてしまうのではないかとも思う。私の使っているノートPCは3万円であるし、このブログもその3万円のPCを使って書いている。多少スペックに不安はあるが、特に不便も感じていない。しかし、実際に家電量販店に行くと3万円ではPCは買えないだろうし、「PCは高くて買えない」という先入観があり、安いキーボードだけ購入したのかもしれない。もうこの辺りは推測でしか語れなくてあまり意味がないので省略する。

 私個人の感想としては「学校の授業についていけなくなるほどであればPCは少し我慢してでも買った方が良い」と思った。特に強い意見は持っていないが、なんとか上手に工面して学業に必要なものは買いそろえてほしい。貧困層であってもそのくらいは出来るであろう。

 

 

 

3、貧困のせいで進学を諦めることについて

 一番注目すべき点はここであろう。彼女が本当に貧困であるか、そうでないか、また豪遊しているかという問題は一度考えずに、「金銭的理由により進学を断念する」という状況であるという点は非常に問題である。私個人としては学問を志す人間には是非進学してもらいたいし、専門学校であってもその専門性に特化した勉強を続けてほしいと思う。

 授業料というのは1万2万とはケタが違う。入学金や授業料を合わせると年間で100万を超えることもしばしばである。これはライブのチケット110枚相当であり、あのペンも90セットほど買える値段である。

 実際に文科省は貧困家庭に進学の推進を行う政策を企画検討しており、その政策もいくつかある。詳しくは公式HPを参照されたい。

子供の貧困対策の推進:文部科学省

 

 ここで私が記事の中で大きく注目した点があり、それは以下の文章である。

進路を選ぶ3年生の夏を迎えたうららさん。絵が好きで、アニメのキャラクターデザインの仕事に就きたいと、専門学校への進学を希望していましたが、入学金の50万円を工面することが難しく、進学は諦めました。(NHK NEWS WEB より)

この挫折理由は「授業料」ではなく、「入学金」である。私も入学金、授業料に非常に苦労しているのでこの違いに思うところがある。彼女が進学したい専門学校がどのような形態をとっているか分からないので、私が通っている国立大学法人東北大学の授業料、入学金とその免除のシステムについて考える。

 

 東北大学では「入学金の免除」を金銭的事情を理由に受けることは困難である。具体的には、家計を担う人の死亡や、東日本大震災の被災者の認定など本当に特殊な場合しか認められない。この入学金28万円はどんなに貧困な家庭でもほぼ必ず払わないといけない。

 

 対して、「授業料免除」は両親などの金銭的状況や、家庭環境などを考慮して判断される。よって貧困者はこの免除の制度を受けることが出来る可能性が高い。

 

 私はさらにこの制度の抜け穴にハマっており、授業料免除を受けることができなくアルバイトのみで生活をしているが、今回これは主題ではないので省略する。詳しくは以下の過去記事を参考にされたい。

t-ritama.hatenablog.com

 ただ、貧困者に対しての政策は本当に不十分である。表面上はそれっぽく制度を整えててもそれでは目的を達成できていないものが多い。彼女も仮に進学できたとしてもそのような落とし穴にはまっていたかもしれない。

 

 

4、「貧困なのに趣味にお金を使うな」という意見について

 私が個人的にネットの意見を見ていて恐怖を感じたのがこの意見である。「貧困だから趣味に興じるな」という意見が本当に多かった。感情的になっているのもあり、ネットの性質もあってか暴言や人格の否定までするコメントも数多くあった。

 

 貧困と趣味をこのように短絡的に結び付けて考えるのは非常に良くない。私の貧困と趣味の結び付け方は以下の通りである。

 

  1. 貧困とは、一定より家庭が貧しい状況であり、実際にあの記事の彼女は母子家庭であり、一般家庭より貧しいのは事実である。
  2. そういう環境にいると、色々不便を感じることや、実際他の家庭と比べて金銭的に厳しいので、その余裕のなさは精神にくる。
  3. 精神的な余裕がないことというのは生きていくうえで非常に問題であるので、それをなるべく解決しなくてはならない。
  4. その方法として一番よく使われるのが趣味である。 

 

 つまりまとめると、「貧困層こそが趣味に興じる必要がある」ということである。ネット上にはこのようなことが原因でメンタルに問題をきたしたことが少ない恵まれた家庭の人間が多いのか、この趣味の重要性を軽視されることが多く、このような炎上があるたびにそれが表面化する。もちろん、貧困の状態であれば趣味にあまり多くの金額を費やすことはできないが、趣味とはお金がかかるものである。多少の出費は致し方ないものであると考えるべきである。

 

 ただ、この記事について「彼女のCDやペン、ライブなどが趣味として適切なものか」ということは判断しかねる。私は彼女の家庭環境を知らないし、彼女のメンタルの状態も知らない。彼女にとってCDがどのような存在であり、ライブがどのようにメンタルに影響するのかということが分からないからである。

 

 「貧困だから趣味にお金を使いすぎるのは良くない」は真であるだろうが、「貧困だから趣味にお金を使うな」というのは間違っている。贅沢するなということに関しても同様のことが言えるだろう。

授業料免除は本当に納付困難者に適応されているか

授業料の免除

経済的理由により、授業料を納付することが困難であると認められ、かつ、学業成績が優秀であると認められる者、その他やむを得ない事情があると認められる者については、願い出により選考の上、授業料の全額、半額又は3分の1の額の免除が許可される制度があります。

東北大学HPより)

 

 

授業料免除について我が東北大学は上のように告知している。ここにある

授業料を納付することが困難

 について少し考察を入れたいと思う。

 

ご存知の方も多いかと思うが、私は授業料を納付することが困難でありながらこの授業料免除という制度の対象から外れている。今回は、その困難な状況に該当する者としてこの記述に関して非常に強烈な違和感を感じたのでそれを記す。

私のブログをこの記事で初めて読む方はまずこちらを読んでいただきたい。

 

t-ritama.hatenablog.com

 

 

ではまず、授業料を納付することが困難とはどういう状況であろうか。

 

こん‐なん【困難】
[名・形動](スル)
1 物事をするのが非常にむずかしいこと。また、そのさま。難儀。「―に立ち向かう」「予期しない―な問題にぶつかる」
2 苦しみ悩むこと。苦労すること。
「道の上はぬかるみで―した」〈滝井・無限抱擁〉

(goo辞書より)

 

ここでは1の用法であると思われるので、この意味で考える。

この「授業料を納付することが困難な人に授業料免除を適用する」ということは「家庭に余裕がなく授業料のせいで大学に通えなくなるから、授業料の納付をなくして通えるようにしてあげよう」という制度であろう。

非常に聞こえの良い制度であり、何も不備がないように思えるが、ここに大きなパラドックスがある。

 

  • 授業料を納付することが困難な学生が大学に入学するか?

授業料を納付することが困難な学生が大学に通う余裕があるだろうか。もちろん、この授業料免除の選考は大学入学後から始まる(一部私立大学では合格発表の時点で授業料免除が確定する大学もある)。よって入学した段階では授業料免除されるかどうかが分からないという状況になっている。

「授業料収める余裕なんてないから、授業料免除されるかと思ってたけど実際されませんでした~」という学生が出る可能性は大いにある(実際に私はそうだった)。

払うことが困難な学生が授業料免除されない、つまり授業料を納付しないといけないという状況になる。これが何を意味するかは言う必要はないであろう。

もちろん、授業料免除に充てる予算は毎年違うし、応募する学生がどういう家庭環境であるかという様子も毎年違う。よって、入学の段階では、どういう家庭環境の学生であっても大学側から「君は授業料免除」と言うことが出来ないのである。

つまり、授業料の納付が困難な学生はその年の色々な要素によって決まる不確定な要素の強い授業料免除という制度を当てにして入学することになる。こんな学生が存在するだろうか……?

 

 

以上により私の判断では授業料免除該当者に「授業料納付困難な学生」はまずいないと考える。実際には「割ときついけど、がんばれば授業料くらい払える環境の学生」が多いのであろう。現状そういう人たちの負担を減らす制度になっている。これが私がこの記述を見たときに感じた非常に強烈な違和感である。(私立大学などの他の大学ではまた事情は違うであると考えられるので東北大学に限った話とさせていただく)。

 

 

T.

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毒親を想定しない制度の多さ

1、はじめに

 

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 この記事は「私が休学を決めるまで」の記事の既読を前提と書かれている。よって、その既読を前提とした文章構成となっているので、初めましての方はまず上記リンクから記事を読んでいただきたい。

 

 この「私が休学を決めるまで」の記事の公開において一番反響が多かったのは毒親の存在を想定していない日本社会の制度について言及する声であった。という私も、「毒親」という言葉の存在をこの反響によって知り、調べてほーなるほどなあと納得した。

 

 

毒親(どくおや、英:toxic parents)とは、児童虐待などで一種の毒のような影響を子供に与える親のこと。母の場合は毒母(どくはは、どくぼ)、毒ママ(どくママ)[1]と称される。また、父の場合は毒父(どくちち、どくふ)、毒パパ(どくパパ)と称される。毒母の別名として、モラ母(モラはは)[2]と称されることもある。(wikipediaより)

 

 

今回この記事を書くきっかけとなったのは北海道の男児放置事件の男児が見つかったことである。いきすぎたしつけなのか、育児放棄なのか様々な情報が飛び交っているが、ここではそれに関連して毒親が子供にどのように影響を与えるのかを知っていただきたい。

「しつけ」で7歳男児置き去り=山林へ両親、不明に-当初「はぐれた」と通報・北海道警:時事ドットコム http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052900158&g=soc

 

 私の場合、確かに親から大学進学に関して妨害を受けたが、実際のところ一番困難に直面する原因になったのは「親が子供に何もしないこと」による影響である。

 

2、親が子供に何もしないこととは?

 上記の「親が子供に何もしないこと」というのはピンと来ない人も多いかもしれない。これは文字通り、親が子供に何もしないことである。ひょっとしたら、「子供に義務教育を受けさせたり、高校を卒業させたらもう親は何もしなくても良い、甘えるな」と考える人もいるかもしれない。しかし、現在の日本社会は親が子供に協力的であり、その協力を前提としている。そこに、その前提を覆す想定外の親を持つとき、その子供が不利益を被ること、特に命の危機に関わる状況となることがありうるのでここに書き記したいと思う。



3、露呈する制度の欠陥

 まず、「親が子供に何もしないこと」により以下の二つが出来なくなる。

 

・親の所得証明ができない。

・保証人がいない。

 

また、私の通う東北大学においてはこれにより以下のことが出来なくなる。

 

・授業料免除申請

・貸付型奨学金の申請

・住居の借入

 

 授業料免除申請においては親の所得証明が必要である。これは、親が子供を扶養するだけの十分な収入があるかどうかということを判断するために必須である。よってこれが証明されない限りは、授業料免除申請の書類の必須事項を埋めることが出来なくなり、授業料免除の申請を受け取ってもらえなくなる。「親が何もしないこと」により、その所得証明を発行してもらえない。

 また、授業料免除の基準として学生の独立生計があり、その証明により授業料免除がされる大学もある。どうしてこのような基準の違う大学が存在するかというと「学部生は親の収入のみ、大学院生は本人の独立生計も認める」という文科省の方針を参考にして、大学が独自にその基準を定めているからである。東北大学以外の制度を詳しくは知らないが、他の大学に関しては、東京大学では学部の独立生計を認めず、京都大学では学部生の独立生計を認めるという話を聞いている。

ちなみに東北大学ではHPにこのような記述がされている。

経済的理由により、授業料を納付することが困難であると認められ、かつ、学業成績が優秀であると認められる者、その他やむを得ない事情があると認められる者については、願い出により選考の上、授業料の全額、半額又は3分の1の額の免除が許可される制度があります。(東北大学公式HPより)

 私はこれを見て疑いもなくその制度の該当者になれると思いこんでいたが、思わぬところに落とし穴があった。




 奨学金についてもほぼ同様である。奨学金は基本的に日本学生支援機構に頼ることになるが、大学から日本学生支援機構に書類を送るため、その書類の不備があった場合はその申請ができない。これは、大学側の配慮や制度でどうこうなる問題ではなく、この三つの問題のうち、一番解決が困難である。また、奨学金を借りるということは当然、保証人の問題が出てきて保証人がいないとその借り入れができない。機関保障という制度があるが、それには身元保証人という別の保証人も必要である。身元保証人は基本的に両親ということになっており、直接ある機関保障会社に話を聞きに行ったときは「両親以外の身元保証人ではよく申請落ちすることがある」という話をされた。大学以外の機関を2つ介すことになり「親が子供に何もしない」ことにより、その実現は困難を極めることになることが分かった。



 住居の借入の問題は非常に深刻である。住居がないと生活の質が大幅に落ち、人間的な生活が出来なくなる。私はこの2年間で3回ほど「このまま死ぬかもしれない」と思った。ご存知の方が多いと思うが、住居の借入には連帯保証人が必要である。「親が子供に何もしない」とこの項目が達成できない。機関保障制度も上記に書いた通り両親以外では落ちることが多いのに、収入がアルバイトのみの大学生が親族以外を身元保証人とするとなればさらに困難なものとなる。大学の学生寮への入寮の申請も部屋を借りることになるため、当然連帯保証人が必要である。また、入寮の審査は授業料免除と同様に親の所得証明が必要である。「親が子供に何もしない」ことによりこれらも申請が困難となった。

 しかし、学生寮は大学が運営している設備ということもあり、大学の配慮により5月より入寮の許可がおり、私の大学生活において、住居なしの生活は1年生の4月のみであった。



4、授業料免除と貸付型奨学金がないとどうなるの?

 端的にいえばお金がたくさんかかる。具体的にいえば、一年あたり、授業料56万、家賃20万(寮費)に他の費用が多くかかる。保険料や教科書代、食費、生活雑貨費など……。東北大学HPによると、大学生がひと月に使う金額は約10万円とのこと。これは学費を除いた金額である。貧乏な学生はこれより節約して生活するため一概に比較するとはできないが、これを大学に通いながら稼ぐのは非常に困難である。これに関しては「私が休学を決めるまで」に詳細に書いてある。



5、まとめ

 大学の制度が親がないと何もできない状態であるということを知らないまま入学した私が悪いと言われればそれまでであるが、社会や大学がこれほど良心的な親を前提としている、その親がいないと命の危機すらあるということを知らなかった。北海道男児放置の問題で「保護された男児はすぐに親元に戻る」ということを嘆く方が多かった。これも良心的な親を前提としている、また毒親を想定していない社会の制度の在り方を示すものであり、私はその報道を見てとても他人事とは思えなくて自分の経験をこのように文章にした。制度を変えてくれとまでは言わないが、制度の前提を満たすことが出来ず、あぶれてしまっている人間がいるということも知ってほしい。

 

 

文責:T.

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受験中の趣味はどう扱うべきか

0、この記事を読む前に

 

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 この記事は上記「私が休学を決めるまで」に寄せられたコメントの中で多かった受験について私なりの考察を加えるものであり、その既読を前提としている。上の記事を読んでない方はそれを読んだ上でこの記事を読んでいただきたい。

 

 

 

 

 

 

1、はじめに

 受験勉強中において趣味をどう扱うかということは非常に重要かつ難しいテーマであり、色々な受験生が苦労をし、様々な議論が飛び交っている。特に、根拠がないものや、過程の飛躍があるものが散見されるのでここで私の経験をもとに一つの解を提示したい。



2、大学受験に蔓延る通説

 ここでは、私は私の経験上の話しかできないので、趣味を音ゲーツイッターを想定している。「ツイッターしてるような受験生は論外」などといった論が度々見られ、炎上なりたくさんのふぁぼをもらうなりしている。つまり、「大学受験において趣味は封印するべき」といった論がよくあるということであるが、私はこれに異を唱えたい。これには正しい部分と誤っている部分があり、特に「趣味を封印すること自体が目的」となって大学受験の目的を喪失している人も少なくない。ここでは受験においての目的を明確にすることで、その中での趣味の扱いについて一考していただきたい。



3、そもそも目的は何か

 大学受験という精神的に厳しい状態で長い年月を過ごす時期において、視野が狭くなりがちである。しっかり地に足をつけてこの問題を考えてみたいと思う。大学受験の目的は大学受験で合格を勝ち取るところにあり、すなわち、大学入試で良い点数をとることである。大学入試で良い点数を取るためにはなにが大事か、運という要素を除けばそれは以下の三つである。

 

・学力

・メンタル

・体調

 

これらがどれほどの割合で入試の点数に影響するかというのは人(その人の耐性)に依る。例えば、試験本番での体調が多少悪かったとしても悪い体調に対しての耐性が強い人間と弱い人間では、実際の入試の点数は上下するだろう、ということである。また、これは試験本番以外でも強い人と弱い人では普段の勉強の効率が違ってくる。



4、学力以外の要素と趣味との関係

 体調管理が上手な人は日ごろの勉強が捗るであるだろうし、そのために趣味を利用するというのは大いにありだ。例えば、私の話であるが、音ゲーで体を動かした後は決まって体調が良かった。また、適度な疲労感を感じることで、睡眠の効率も上昇したように思えた。

 また、この学力以外の要素は勉学以外でのみに依るというのも誤りである。実際、勉学に励むという事実だけでメンタルが強くなり自信がつくということも多い。実際私はその傾向が強く、勉強すればするほど体調もメンタルも向上していった。ただ、適度な趣味がこれら二つの要素によく働くことが多いのは言うまでもないだろう。もちろん、適度な範囲内である。ここに関しては特に異論のある人は少なさそうで、問題は次だと思われる。



5、学力と趣味との関係

 一般に学力は「勉強効率×勉強時間」で伸びると私は考えているのでこれに即して考えていく。趣味を削って勉強時間に充てれば、勉強時間が伸びるのは自明である。

 

ただ、勉強時間が増えれば万々歳かと言えばそうではないのである。

 

「11時間勉強のみする人と、10時間勉強をし1時間趣味に費やす人はどちらが学力が伸びるであろうか」

 

 結論からいうと、どちらが良いか判断を付けるのが難しい。なぜなら、勉強のみの生活をしていてもコストパフォーマンスが全く落ちない人間もいるが、その生活では極端にコストパフォーマンスが落ちる人間もいる。つまり人に依る。また、それは趣味の質にもよる。その10時間の勉強の効率を十分に上げうる趣味とそうでない趣味がある。私の場合は、音ゲーツイッターは勉強の効率を上げたが、ソーシャルゲームはそうではなかった。ソーシャルゲームはスタミナの存在により、スタミナの回復に合わせて勉強の休憩を取るようになり、生活の中心が勉強からゲームになってしまったためである。また、この疑問に対して色々な意見をくれた方がいるが、その意見を見てもやはり、その人の性格や特性に依って大きく変化するため、これを一般化するのは難しく、それは実際にもおそらく不可能である。



6、結局のところは

 以上の考察を経て、この問題は一般化することが難しく、「大学受験において趣味は封印するべき」が正しいかどうかは人に依るということが分かった。「これだけ考察して結局人に依るとか考察の意味ないじゃん」と思う方もいるかもしれないが、この結論である「人に依る」というのは非常に重要である。

 この問題は一般化する必要が全くないのである。自分の性格や個性を考察、解析し、趣味の時間や質を調節していくことで、自分が一番良い形で勉強効率と勉強時間を叩き出せる方法を導き出せばよいのである。実際上記のように趣味について私は音ゲーツイッターを選んだが、他にも色々試してみて「この趣味は非効率だ」と分かりやめたものも多い。

 

 大学受験をするのは自分であり、先輩や先生、親などではない。外野からとやかく言われようとも、自分の性格や個性を理解したうえでその最適解を見つけ、それに従うのが一番良い。また、このような考察が上手にできない場合は、一般的に正解と言われる方法、つまり「趣味を封印する」という方法を取り入れるのも良いであろう。しかし、仮にそういう形をとったとしても「受験合格のためにこの手法を採っている」という認識を忘れないように、それ自体、つまり「趣味を封印すること」が目的とならないように気を付けながら受験に臨んでほしい。

 

 

文責:T.

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Amazonほしい物リストに関しては、「私が休学を決めるまで」の追記2に色々書いてあるので、そちらの参照をお願いいたします。