新制度は身の丈に合うかだけが問題なのか?

最近,世間をにぎわせている話題がある.

www.j-cast.com

 

これに対して,特に受験費用に関するものについて,私の見解を書きたいと思う.

私は,過去に親から勘当を受けて経済的な困窮状態に陥りながら大学の休学を決意した経験がある(後述の毒親は下記ブログに登場する当時の私の親を想定している).

t-ritama.hatenablog.com

 

私は,新制度の報道を見て,この制度では,経済的な格差による身の丈以外にも問題があると感じた.

  • 受験費用減額の制度

新制度の受験のシステムのひどさや,文科相が受験生の反感を買う発言をしていることは置いておき,受験費用の制度について考えたい.

「経済的に困難な家庭につきましては、試験の実施団体に受験料の軽減をお願いしています。TOEFLは、すでにこうした家庭に対し、受験料の15%を減額することを発表しており、他の団体も検討していると聞いています。子供たちに教育の機会を等しく得られるようにするのが国の立場です」 

 経済的な困窮者に対する対策である.この「経済的な困窮な家庭」とはどのような家庭をさし,それはどのように調査するのだろう?

この「経済的に困窮な家庭」の判断をするにあたって,私が一番容易に想像できたのは大学の授業料免除だ.

東京大学における授業料免除の条件には以下のような記述がある.

経済的理由等により、授業料等の納入が困難であり、かつ学業優秀と認められる場合には、選考のうえ、授業料等が免除または徴収が猶予される制度があります。

 

 この授業料免除の制度は確かに経済的に授業料納付が困難な学生に割り当てられるものであるが,この制度を通過するのは容易ではない.

書類が非常に煩雑であり,大量の証明書を用意しなくてはならない.私が授業料免除の申請をした際,事前にたくさんのメールでのやりとりを重ね,実に10回近く窓口に足を運び,授業料免除の申請書をそろえた.これが非常に時間的にも精神的にもひどく疲弊するものであった.

これを高校生が一人でこなすのは非常に困難である.これを実行してくれる子供に協力的な親の存在を暗に仮定していることは間違いないだろう.もし,親がそういう子供に協力的な親ではなかった場合はどうなるだろう.

ここで,受験費用減額制度の本質を考える必要が出てくる.家庭が裕福で,親が毒親だった場合,つまり,制度として貧困な家庭には該当しないが,親が意志を持って子供に受験費用を出さないパターンである.この場合は,この制度ではその受験生を救うことはできない.

なぜなら,この制度は「本来判断すべきは受験生の貧困であるのに,親の貧困さしか見ていない」からである.親と子供は対等ではなく,親は子供の一切の生殺与奪を握っているためである.親の悪意一つで子供の受験は終わる.今までは,それが一度の受験費用の捻出(と,こっそり抜け出して試験を受けに行くこと)だけで済んでいたものが,年二回の複数回にわたる試験を受けなければその資格が得られない状態になっている.その道はさらに険しく難しいものとなるだろう.

 

 

萩生田光一文部科学相は身の丈発言の謝罪として「どのような環境下の受験生でも自分の力を最大限発揮できるよう、自分の都合に合わせ適切な機会をとらえて全力で頑張ってもらいたいという思いだった」と発言したとのことであるが,もし,結局このような救済制度から零れ落ちる高校生がいるようでは,受験生全員が自分の力を最大限発揮できるとは言えない.

新体制の試験的な不備も大きく指摘されている中で,このような経済格差や親にさらに強く依存する制度を予感させられて,画一的に考えられた穴だらけの制度のまま新しい大学受験が始まるように感じられる.そうならないように新制度や救済処置は慎重に検討してから導入してほしい.本当に頼みます.

 

twitter.com